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小田原城馬出門土橋と住吉橋

2016年3月9日

消えた赤い太鼓橋

二の丸堀です。以前は、隅櫓から左に堀を渡る赤い太鼓橋(隅櫓橋)がありましたが、城址復原でなくなりました。右手には写っていませんが赤い「学び橋」があります。今、小田原城址には2つの赤い橋が残っていますよ。

やはり写真左手には写っていない馬出門土橋があります。これはもともとは土橋だったのですが、眼鏡橋としてトンネルを開けたときに石垣になったそうです。
ここを渡り馬出し門を抜けると大腰掛けなどがあった馬屋曲輪に入ります。
掘

馬屋曲輪から枡形門である銅門に入るのがこの住吉橋で平成元年に復原されています。北條五代まつり(5月3日)で出陣する武者が初めて観客の前に姿を表すポイントとなっています。
住吉橋
この銅門の復原工事では、現在の堀に底に眠っている戦国時代の障子堀が見つかっています。
裏
さて、銅門を抜け馬上弓くらべ(前回の記事)が行われた二の丸広場に向かいます。現状では会場を裏からアプローチするようですが、実はこのルートが本丸に上がるのが正規登城ルートなのです。

会場
そして、同じ二の丸広場では、出張カミイチ(普段は上府中公園で第4土曜日に開催)が開かれていました。
学び橋
ほとんどに皆さんは、二の丸堀に架かる学び橋を渡ってこの会場に来るわけです。お堀に赤い橋として象徴的で便利な学び橋ですが、今はなき城内小学校がここにあった名残で関東大震災の後に通学用に掛けられたものです。

さて、3月末から4月は桜祭りががありますよ!
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花・花・花

2016年3月1日

忘れてはならないこと

昨年の春、桜の季節に撮って、2月になったらアップしようと写真を撮っておいたのをついつい忘れてしまいました。
それが起こったのが2月17日(1945年)だったからです。
今日、またその前を通ったので遅まきながら、アップします。
墓
ただ1機でグラマンの大編隊に果敢に挑み墜落した上原中佐の墓で、搭乗していた疾風のプロペラが墓標になっています。ストーリーは掲示板にありますが、感服するのは、いつここを通ってもこのお墓にお花が供えられていることです。
掲示このお墓の花は戦争で亡くなったすべての人への慰霊と平和への祈りだと思います。
沼代の皆さん、なかなかできることではありませんよね。
ありがとうございます。
おわりかけ梅華2016
今日は、このお墓の先にある桜の馬場でみつけた梅の花の写真を撮りました。

寄の蝋梅に始まり、曽我の梅、松田山の河津桜とくれば、そろそろ南足柄の春めき桜ですね!

閏年です

2016年2月29日

2月29日(月)

地球市民フェスタ
20th Anniversary

10年ひと昔というが、20年も続くイベントに育ちましたね。
今回の参加国や団体数はしりませんが、昨日(28日)、ちょこっと覗いてきました。
フェスタ20
県西地区最大の国際イベントになりましたが、その昔は、フェアトレードという言葉さえも真新しく、国際交流、海外交流から、外国人住民の増加からその共生をさぐる内なる国際化、そして、国際協力へとその分野を広げていきました。

昨年は、海外からの旅行者が急増し、今やどこへいっても観光地は外国人でいっぱいですよね。

デジュミーの皆さんがアフリカンミュージックを奏でていました。
ディジュミー

ところで、スギ花粉とPM2.5とかで、真っ白になっていた車を見るに見かねてせん洗車し拭き取り終わった時点でパラパラと。天気予報確認したのに・・・雨雲が真上に。
日が差してきたので、もう一度拭き取りましたが、今後は音を立てて降り始めました。

バイクに乗る時は、雨雲レーダーをよく使いますが、それは出先の話でしょう・・・
悔しので、夜帰宅してからもう一度洗車しました。

あ〜、洗車は決して趣味ではありませんw

さて、皆さんはワープできるとしたら、未来?それとも過去ですか?
ワープ

ブラタモリ 小田原城総構

2016年2月20日

あまりに知られてなかった小田原城総構

大変ご無沙汰をいたしました。生きておりますのでご心配なくw

さて、過日のブラタモリ小田原編は史上最高視聴率同率1位だったそうです。

世に多くの方々が全国のお城を訪れ、研究されております。私は聞きかじったものを書いているのだけですが、戦国時代に関東には、箱根の関以西にあったような大規模な城壁を持った城はあまりというか、ほぼなかったのではないかと勝手に想像しています。
したがって、今の天守閣のあるところにどんな構築物があったのかを知りたいのですが、今はまだ・・・のようです。
間違っていたら、ご教示いただければ幸いです。

そうは言ってもお城といえば、天守閣を連想する人がほとんでしょう。小田原城も御多分にもれず天守閣があるので小田原城=天守閣となるのはいたしかたないことでしょう。現在の小田原城は、江戸中期の城を基本に本丸から二の丸までの整備が進められていますので、その時代の天守があるのですが、秀吉が小田原を攻めた1590年にも、そこに今の天守閣があったと思うでしょうね。

しかし、総構を作った北条の時代に、まだまだ関東では珍しい石積みの城壁の上に今のような天守閣があったとは思えないのですよ。


それにしても、小田原城の天守閣は、街中や国道1号、西湘バイパスからその姿を見るのはなかなか難しいのです。
東曲輪から
<八幡山東曲輪>
この写真は、北条時代の城の中であったとされる八幡山(現小田原高校のあるところ)東曲輪からの天守閣。耐震工事中の天守閣も、先日から足場が取り外され始めました。
東曲輪
北条時代の中心は、上の「八幡山東曲輪」の背後になる現在の小田原高校のある八幡山(八幡山古郭)とされていましたが、江戸中期を基本に整備を進めてきている小田原城の御用米曲輪の米蔵史跡の下層に、北条時代の主殿の跡が近年みつかったのです。
総構
大外郭周辺には、こうして総構の案内板があるのですが、多くの観光客が歩く二の丸(現存するお堀の内側ね)周辺にないのが残念ですね。

<三の丸新堀土塁>
三の丸図
総構の西側は、近年公有地化した「三の丸新堀土塁」の史跡公園がありますが、ここを知る人はまだまだ少ないでしょう。

土塁「三の丸新堀土塁」土塁と空堀はここから箱根口門近くの清閑亭の先まで続く広大なエリアで、その後、閑院宮の邸宅となりました。
外郭新堀ふじやま
ここからは、秀吉が築いた一夜城、細川忠興が陣を張った富士山(ふじやま)砦、そして、秀吉が本陣を置いた早雲寺のある箱根湯本の方面が望めます。

「天守閣はすでに訪れた」という方は、ぜひこの辺を歩いてみては如何でしょう。

ブラタモリで、街中の痕跡を紹介した平井太郎氏が関わるNPOまちづくり応援団では、まち歩きの参加者を募集していますよ。

ブラタモリ 小田原

2016年1月23日

江戸の原点は小田原にあり
NHK ブラタモリ

NHK総合 1月23日(土) 午後7時30分
ブラタモリ

さて、NHKの番組紹介です。
小田原といえば、昨秋、鬼と呼ばれた男「松永安左エ門」が放送されました。また城といえば、以前に見たのブラタモリでは、真田の城下・上田の町が紹介されました。
今日は、小田原の紹介。「江戸の原点は小田原にあり」。
かつて、東京の築地市場近くには小田原町というところがあって、築地本願寺のある交差点には、今も「小田原町交番」があります。これは江戸時代、多くの人が小田原から移り住んだことを意味します。

定番の小田原城も。「城」というと皆さん、天守閣を連想することが多いと思います。その天守閣は現在、耐震工事中で4月末にならないと入城できませんが、城とは天守だけでなく、本丸、二の丸、三の丸や堀や土塁などを全て含むものです。
実は小田原城は、戦国時代、大阪城にも負けない全国でも有数の大きな城であったのです。それは、城下を取り込んだ周囲9kmにも及ぶ「総構(そうがまえ)」と呼ばれる小田原城大外郭にあります。

さて、今日はどんな取り上げ方がされるのか楽しみです。

⚫️1月23日 #28 ブラタモリ 

<第3土曜日はカミイチ>
1月23日(土) 10:00-16:00 上府中公園(かみふなか)
茅ヶ崎のpsipsinaのパン屋さんも出てますよ
⚫️カミイチ
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