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小江戸川越 蔵のまち

2014年1月23日


川越の夜戦




今の小田原城は天守閣をはじめ、二の丸までは江戸後期をモデルに遺跡の復元、整備が進んでいる。
また、江戸時代の城主は、春日の局で有名な稲葉氏、阿部氏と大久保氏であった。

小田原・北条氏

一方、小田原といえば戦国時代に五代、百年に及ばんとする施政と関東を支配した北条氏がよく知られているが、秀吉が1590年に20万の軍隊で小田原を攻めたのが、戦国時代の終わり。
そのときの小田原城は周囲9kmに及ぶ大外郭(総構=そうがまえ)を有した全国でも有数の大きさの平山城であったが、必ずしも天守閣があったか?など、総構の内側は未だに定かではないそうだ。

しかし近頃立て続けに戦国時代の北条氏の遺跡である主殿跡や庭や池の跡が現天守閣のすぐそばの江戸時代の御用米曲輪跡の発掘現場から発見されている。


前置きで疲れたので本題あくまでみじかく。

関八州とまではいわないが関東を治めた北条氏は、五代百年である。
その中でも二代氏綱が関東に進出。八王子の滝山城、江戸城と武蔵を配下に治めた、幾度の侵攻の後、川越を攻め落としました。

しかしその関東管領上杉氏と北部関東の連合軍8万に川越城が包囲され半年の籠城に耐えたところに、三代氏康の8千の奇襲により川越城の包囲網を解き、敗走させたのが1546年。これが世にいう、日本三大奇襲「川越の夜戦」である。
そして、北条氏はこの後関東を支配していくことになる。

まぁ、小田原と川越にはこんな歴史もあると言いたかっただけ。


さて、当の川越はこの10年で年間600万人の観光客が訪れるまちとなった。


川越にたどり着いたのは夕方近くであったが、渋滞でゆっくり走る車に構わず人の列は道路両側に途絶えることはなくつづいていた。

一つ通りを外れると静かなまちだが、この賑わいは小田原ではとんとお目にかかれない風景である。


土産は名物の芋菓子と江戸時代から続く刃物屋「まちかん」で包丁ならぬ、燕三条の高価な爪切り。

また機会を見つけて訪ねることにした。

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コメント

私はビアカップ

川越で燕三条の爪切りですか!!
私は湯沢で燕三条のみがきの入ったビアカップ!(以前のiPhoneのみがきは此処だったと薄っすら記憶が)
ただ、その後通風で・・・ほんの数回しか使っていない(笑)

一度、燕三条のような職人の街へ行ってみるのもいいかも!

本物

tomjさん

「まちかん」の包丁は有名だそうです。お店番をしながら常に刃物を研いでいます。

爪切りはたくさんなるのですが、長らく買った覚えもなく・・・
まず10年は問題なく、切れなくなったら研ぎ直しがきく・・・

切れ味最高!この、ニッパータイプの爪切り、切った爪が飛びません!

以前、津山に行った時、街に残る鍛冶屋が叩いていた薄刃で軽い草刈り鎌を買ってきました。

職人の仕事、技は見ていて飽きないですね〜!
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