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北条時代の接待場 

2014年3月7日

小田原城御用米曲輪 遺跡見学会

以前から取り上げている、小田原城の御用米曲輪。
今の小田原城は、江戸時代末期をモデルに復元されているが、
戦国時代を見ても、清洲城、大阪城など、石垣の上に天守閣をもったお城が当たり前だと思っていた事から、
多くの人も、形は少し違えど、同時代の関東、小田原のお城も天守閣を持ったいまのような形態であったろうと思ってしまいがちだが・・・

実は、天守閣をもつ城は、関西方面が主で、関東においては、武田信玄の館のようなものが主流だったとのこと。

まぁ、認識を替える必要があるようだが、ここ小田原城も当時、天守はなかった。
一方1590年の秀吉の小田原攻めにおいて早川の石垣山に築いた一夜城は、あごう衆によって作られた石垣の上に築城された関東で初めての天守閣だったようだ。

またまた、前置きが長くなったが、小田原城天守閣の東側で見つかった北条時代の主殿跡や池の石積みに加え、なんと
接待場と思われる建物跡がおおく見つかったとのこと。

ここでも、先入観を覆されることが一つ。
奈良時代の木造建築などからか、礎石の上に柱を立てるのが当たり前だと思っていたが、戦国時代になっても、礎石を使うのは主殿や大きな家であって、小さな建物は竪穴に柱を立てる掘っ建て柱がまだまだ主流だったようだ。

あ〜結論というか、お知らせはね、
明日8日(土) 小田原城御用米曲輪、戦国時代の遺跡見学会は、
10時、11時、13時、14時の4回。
遺跡は、この後は、保存の為に埋め戻されるので、是非この機会をお見逃しなく。

7日付、読売新聞の記事はこちら

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20140306-OYT8T01528.htm
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