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北条の文化

2104年3月8日

江戸時代 御用米曲輪に、戦国時代と明治時代の遺跡がざっくざっく

ここ掘れワンワンとポチが吠えた訳ではないが、幕府の御用米が蓄えられていた曲輪がここ。
小田原城の本丸(天守閣広場)は徳川将軍家の御殿があり、小田原城主の御殿は二の丸にあったのですよ。
CA394190.jpg
今回の発掘の目玉は、まず礎石建物群石組水路
10棟以上の建物跡が見つかっており最大で7間以上の大きさがある礎石建物(石の上に柱を立てたもの)。それとこれらの建物の周囲には溝や組石水路、石列が配置されており、遺構の境には砂利や玉石が敷き詰められている。
拡大すると見える手前のピンクのビニール紐で囲われているところは、掘っ建て柱の建物、奥のピンクは礎石建物跡でその建物の大きさ(礎石の位置)を示している。
このほか、多くの白い丸は掘っ建て柱や礎石を取り除いた多くの建物跡である。
CA394191.jpg
次は、切り石敷きの庭園
ここで使われている石は、
黄色い「鎌倉石」と呼ばれる三浦半島の凝灰岩と
あの風魔の里にある黒い「風祭石」と呼ばれる箱根の凝灰岩や安山岩。
これらの石を幾何学的に加工し、モザイク模様に配した様子は西洋的な庭園のようにも見えます。
また、中央には井戸のような円形の穴があり切り石の上に水をながしたとの説もあるようです。
このような庭園は全国的にも例がないそうで北条氏の斬新な文化に興味がわきます。
CA394194.jpg
このほか、写真には確認できませんが周りを切り石敷きにした井戸(直径80センチ、石積みの深さ4m)も発見されています。

最後に、この遺跡を横切っている土管は、
なんと明治34年から小田原城にあった御用邸に用いられた土管である。
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