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北村透谷 その1

2014年9月1日

アンビションのかなたへ
透谷 没後120年記念

透谷というと、かつて小田原城址の水の公園にあった根府川石でできた巨大な碑があったことから記憶している。
今は登城ルートである馬出し門から入り銅門へと曲がる正面にあった。



そして、「透谷を知っているか」というと、その碑と、小田原出身、若くして亡くなった詩人、作家、民権運動家?

7月だったか、読売新聞で鴎外、漱石と同様にもっと評価されるべき明治の文筆家として透谷が取り上げられていた。
折しも透谷の特別展が始まるということで楽しみにしていた。
珍しく車から自転車を下ろしてラッコアメーノで友人たちとピザランチをした後、文学館まで走ることにした。

西海子小路(さいかち)に入ると岡田邸の門が開いている。昨日だと思っていた朗読会「透谷を聴く」をやっていたのでお屋敷と茶室をみて、朗読会をちょっと覗いてみた。

会場は定員を上回る大盛況で蝶三部作と呼ばれる詩が紹介されているところだった。



もっと聞いていたかったが閉館時間もあり道を渡り文学館へ。

 (1枚目の写真の透谷碑は入口から文学館をみるこの位置から左手にある)

受付でいただいたこの20ページを超える特別展の配布資料は透谷の人生を5章だてで紹介している。普通なら巻末というが10数ページの資料解説共に良くまとまっている。


明治元年(1868)、小田原・唐人町の士族の家の長男として生まれ、名は門太郎。
13歳の春に上京し数寄屋橋の泰明小学校に転入し、島崎藤村と出会う。

「すきや」とも読める透谷は数寄屋橋からきているとも。  
                             つづく
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