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ずっと生沢徹だった

2014年12月20日

サイドウェイトロフィー
袖ヶ浦フォレストレースウェイ
2014年11月30日(日)

「ALWAYS STYLE」
この本は、この1冊だけしか持っていないし、その後も立ち読みもしていない。
いつも模型マインドを胸に「オールウェイズスタイル」とある。

それもビッグコミックオリジナル増刊2008年5月24日増刊号・小学館である。
これだけでは、まずこの本には辿り着かなかったし、たまたま入った本屋で目に入ったのが幸運としか言いようがない。

そして、この本を手にした理由が、表題の「ずっと生沢徹だった」
always2.jpg

もう、6年前なのか?
日本のモーターレースの創成期から活躍したスターレーサー。60年代後半から70年代当初までは、ヨーロッパに渡りプライベーターとしてF3、F2レースを走った。そしてその活躍は2ヶ月も3ヶ月も経ってからやっと雑誌に載った時代であった。またその戦績は、30年後の佐藤琢磨の登場まで破られなかった国際的レーサーの草分けでもあった。
その後、本拠地を日本に戻し、1977年には当時最も人気があった富士グランチャンピオンシップの年間王者となっている。当時FISCOのパドックでも声をかけられない程の雲の上の人だった。79年からは第一線を退きTeam IkuzawaとしてI&I Racingを率い、のちにF1レーサーとなる中嶋悟を起用してレース活動に関わった。

千葉のサーキットに行く時も、ずっと居間にあったこの本はすぐに見つかった。


そう、生沢徹が走るのである。
そしてそれを観に袖ヶ浦フォレストレースウェイに出掛けた。
60年代の車とバイクによるレース。サイドウェイトロフィーがそれだ。

ピット2ピット
サーキットに着いた時、ピットはすでに活気がみなぎっていた。
ブラバム?yellow.jpg

norton.jpgグリッド

マーコスGT ジャグア
No.14はマルコスGT、今はマーコスと呼ぶらしい。時代によって呼び名も変わるんですよね。
No.66 それまで予選1位だった生沢ポルシェを予選終了直前に逆転しポールポジションをゲットしたジャガーEタイプ
ストレート
ストレートをトップで快走する生沢ポルシェ911。
2位で迎えた決勝は絶妙のスタートで一気にトップに立った。
この日も2000ccのポルシェで大排気量のジャガーに挑み、ファーステストラップを記録し優勝した。
goal のコピー
ポルシェ911のボディにある丹頂鶴のステッカーと白に日の丸のヘルメットは生沢徹のトレードマークである。
二人
見よ、このさっそうとした姿を! 御歳72歳である。
既に60年代から、スポンサーのワッペンを付けたレーシングスーツ。PEPSI, VAN, Racing Mate, STP, BS, NGKにポルシェ・・・
IVYの象徴VANジャケット。コカコーラのスポンサードのレースに優勝して、カメラの放列の前でペプシを飲んだのは有名な話。
これからも、ずっと輝いていて欲しい。

ちなみに「この本、もう絶版でないよ」とは生沢氏のことばであった。


■ More about Tetsu Ikuzawa 生沢徹氏の活躍を紹介するHP

■ MOTOR PRESS レース詳細を伝える「モータープレス」のHP
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