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小田原で16年ぶりに歌舞伎

2015年5月17日

小田原と歌舞伎 その1
歌舞伎と傘焼きまつり

小田原と歌舞伎!と言えば「曽我物」。
以前は5月28日が傘焼きまつりの日だった。菩提寺である下曽我の城前寺(小田原市曽我谷津)の本堂裏にある兄弟の墓の前で行われていたが、近年、5月の週末、場所も変わったようだ。
広報日本三大仇討ちの一つである曽我十郎・五郎兄弟の仇討ち。父河津祐泰の仇、工藤祐経(すけつね)を討ちに1193年、源頼朝が行った富士の裾野(白糸の滝の近く・富士宮市)での巻狩りに忍び込み、夜半の雨に蓑傘を燃やした灯りを頼りに仇討ちを成就したのが5月28日。

大願成就するも若くして命を落とした兄弟を故事にならい和傘を燃やして供養するこの傘焼きまつり。
歌舞伎の曽我物、相撲が強かった父の得意技であったことから「河津掛け」と呼ばれていることなどから、歌舞伎役者や相撲取りが毎年顔を見せるのもこのまつりの特徴だったが…。
5月16・17日に行われた今年の傘焼きまつりには、歌舞伎界から来年3月の五代目中村雀右衛門襲名を発表した中村芝雀氏が17日に来られたと。相撲界からは、本場所中ということもあり参加がなかったのかと。

※豆知識
・兄弟の父河津祐泰は伊豆の豪族伊東祐親の嫡男で、いまの伊東市、河津桜で有名な河津はこれに由来する。
・また河津祐泰が殺されたのは1176年で十郎5歳、五郎は3歳だった。その後、母が曽我祐信と再婚したことから「曽我」を名乗る。
・源頼朝が小田原の石橋で挙兵(石橋山の戦い)し、大敗し、真鶴岩海岸から安房国(千葉)に船で逃れたのが1180年。
・「1192造ろう鎌倉幕府」はすでに歴史の教科書から消えたような話を聞くが、富士の巻狩りは1193年なので、時代の流れがわかるだろう。

チラシ▪️松竹大歌舞伎 9月1日
中村翫雀改め 四代目 中村鴈治郎襲名披露
坂田藤十郎、市川左團次ほか

▪️曽我物語の詳しくは小田原市HPがおすすめ

🔶さて、HPもここまで知る人、たどり着く人はあまりいないと思いますが、曽我兄弟の仇討ちまでのストーリーが30枚の錦絵で紹介されています。ぜひ、ご覧ください。
▪️浮世絵(歌川広重)に見る曽我物語
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