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小田原城三の丸発掘現場見学会

2015年11月1日

大久保弥六郎邸跡第Ⅷ地点

今年予定されていた芸術文化創造センターの建設事業は、残念ながら入札不調により延期となりました。現在サウンディング調査を行い今年中には結論をだすとのことですが、その用地内の遺跡調査は粛々と行われ、昨日見学会が開かれるとのことで見に行ってきました。

お堀端通りの馬出し門土橋前の用地は江戸時代は小田原藩の重臣の大きな屋敷があり、北側は家老の杉浦平太夫邸、南側は大久保弥六郎邸で前回の第Ⅵ、第Ⅶ地点の見学会では、屋敷裏手に富士山の宝永火山(1707)の火山灰や焼土を大量に棄てた大土坑や北条時代の石組水路や竪穴状遺構などが出土しました。


今回の第Ⅷ地点では江戸時代の建物礎石、その下には稲葉時代(17世紀)の石組井戸、さらにその左には16世紀の石組井戸が。
上の写真の左下は、石組土坑。


そして、その下の北条時代(16世紀)の遺構面は今回最も多くの発見があったところで、石積側溝付き砂利敷き道路や70mある幅1m、深さ50~70cmの溝など中世の町割の基軸となる重要な遺構だそうで、各時代の景観が明らかになるものと思われますと結んでいます。(参考:「見学会資料」)

これで芸術文化創造センター用地の遺構調査は最後となりそうです。

夜、劇団こゆるぎ座の「荻窪用水記」を観てきました。

9年掛かる用水整備を6年で完成せよとの藩の沙汰には藩主を老中に就かせる算段が裏にあったとか。
しかし、荻窪村の人々には水が来る、田んぼができることが望みでこの困難な事業に人心を尽くしたのは
「お上がやることに間違いはない。」
との信頼があったからと劇中で語られた。

さて、この言葉を糧に、後はセンター建設が見えて来るのを期待しましょう。

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