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2月16日(土)は、小田原城御用米曲輪 新発見の遺跡見学会 

2013年2月14日

北条氏の主殿か?

今日はバレンタインだが、チョコレートの茶色ではなく、史跡が現れた土色の話である。

小田原城天守閣の北東にある御用米曲輪(ごようまいぐるわ)跡は、江戸時代の遺構で、その昔は市営球場、その後は、スポレク広場、そして駐車場として使われてきた場所。

下の写真、正面奥が3塁側、左手が1塁側、手前が右中間といえば、40代以上の人であれば位置関係は把握できるでしょ。歳は若いし、小田原はそこまで知らない!という人には・・・これはね、天守閣を背に本丸広場から小田原駅の方を見下ろした。最近では、緑と遺跡の保全の両面から、楠の伐採が話題となっている場所でもあるが、すみません。それでも分からない人は、下のHPみてね。

小田原城は、江戸時代中期を基準としており、幕府の御用米曲輪としての史跡整備のための発掘調査で、江戸時代の瓦積塀が立ったまま見つかったのが昨年。

この瓦積塀、「小田原城で唯一の江戸時代の建造物」とあるが、コンクリートの天守閣はともあれ、あの石垣の全ても再建??(関東大震災で崩れちゃったのか、ここだけが疑問??)

それだけでも大変珍しい中で、一部戦国時代まで掘り進めたところ・・・・今までの定説を覆す?新たな大発見じゃじゃぁ〜ん。
小田原城御用米曲輪

北条時代の小田原城は、戦国時代、国内有数の大きさを誇る周囲9kmの総構(そうがまえ)が有名だが、城の中心は、現在の天守閣の北西側の山手、八幡山古郭(県立小田原高校のあるエリア)とされていたが・・・・

なな、なんと! この曲輪の中から、戦国時代の庭の跡、祭事の行われた跡や、政(まつりごと)や主殿などの居館の跡と思われる遺構が、相次いで発見されたんだって。
要は、戦国時代から城の中心はここにあったのでは!ということらしい。

「ええええ! 北条の時代からここにお城があったんじゃないの?」というのが、大方のご意見だろうが・・・結果的には、その単純な想像が、当たっていた!ってぇとこが、新しいんだろうな!

まぁ、素人の私が、あれこれ言っても始まらないので、

日  時: 2月16日(土) 午前10時から午後3時の間(自由)
現地説明: 午後10時と午後1時の2回

詳細は下記の小田原市のHPへ飛んで見て!
小田原市のホームページ(御用米曲輪)
そして、基本情報を頭に入れたら・・・。

あとは、現地見学会にGO!

これを見逃したら、何十年か後に生きていれば見れるかもしれない皆既日食とは違い、生きていても二度と見ることはかなわぬ最後のチャンスかも。
関東で初めて水田耕作がされたという、かの中里遺跡の見学会は1万人だったということが、さて、今回は???

これを見逃した人は、将来デロリアンに乗って戦国時代に行くしかないかも(笑)

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