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ブラタモリ 小田原城総構

2016年2月20日

あまりに知られてなかった小田原城総構

大変ご無沙汰をいたしました。生きておりますのでご心配なくw

さて、過日のブラタモリ小田原編は史上最高視聴率同率1位だったそうです。

世に多くの方々が全国のお城を訪れ、研究されております。私は聞きかじったものを書いているのだけですが、戦国時代に関東には、箱根の関以西にあったような大規模な城壁を持った城はあまりというか、ほぼなかったのではないかと勝手に想像しています。
したがって、今の天守閣のあるところにどんな構築物があったのかを知りたいのですが、今はまだ・・・のようです。
間違っていたら、ご教示いただければ幸いです。

そうは言ってもお城といえば、天守閣を連想する人がほとんでしょう。小田原城も御多分にもれず天守閣があるので小田原城=天守閣となるのはいたしかたないことでしょう。現在の小田原城は、江戸中期の城を基本に本丸から二の丸までの整備が進められていますので、その時代の天守があるのですが、秀吉が小田原を攻めた1590年にも、そこに今の天守閣があったと思うでしょうね。

しかし、総構を作った北条の時代に、まだまだ関東では珍しい石積みの城壁の上に今のような天守閣があったとは思えないのですよ。


それにしても、小田原城の天守閣は、街中や国道1号、西湘バイパスからその姿を見るのはなかなか難しいのです。
東曲輪から
<八幡山東曲輪>
この写真は、北条時代の城の中であったとされる八幡山(現小田原高校のあるところ)東曲輪からの天守閣。耐震工事中の天守閣も、先日から足場が取り外され始めました。
東曲輪
北条時代の中心は、上の「八幡山東曲輪」の背後になる現在の小田原高校のある八幡山(八幡山古郭)とされていましたが、江戸中期を基本に整備を進めてきている小田原城の御用米曲輪の米蔵史跡の下層に、北条時代の主殿の跡が近年みつかったのです。
総構
大外郭周辺には、こうして総構の案内板があるのですが、多くの観光客が歩く二の丸(現存するお堀の内側ね)周辺にないのが残念ですね。

<三の丸新堀土塁>
三の丸図
総構の西側は、近年公有地化した「三の丸新堀土塁」の史跡公園がありますが、ここを知る人はまだまだ少ないでしょう。

土塁「三の丸新堀土塁」土塁と空堀はここから箱根口門近くの清閑亭の先まで続く広大なエリアで、その後、閑院宮の邸宅となりました。
外郭新堀ふじやま
ここからは、秀吉が築いた一夜城、細川忠興が陣を張った富士山(ふじやま)砦、そして、秀吉が本陣を置いた早雲寺のある箱根湯本の方面が望めます。

「天守閣はすでに訪れた」という方は、ぜひこの辺を歩いてみては如何でしょう。

ブラタモリで、街中の痕跡を紹介した平井太郎氏が関わるNPOまちづくり応援団では、まち歩きの参加者を募集していますよ。
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