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「風魔山嶽党」

2013年9月8日


忍者の里「風魔まつり」 9月15日


ここ数年、やけに忍者づいて、ここ小田原では「風魔」「忍者」「風魔」「忍者」と聞こえてくる。

国取りゲーム?なるものの流行か?

小田原城の本丸に続く常磐木門がロケ地としてよく使われていた「隠密剣士」なる白黒のテレビ時代劇を知る人には甲賀の霧の遁兵衛(とんべえ)。
また、忍者といえば、服部半蔵、猿飛佐助、霧隠才蔵、伊賀の影丸、忍者ハットリ君、水戸黄門の風車の弥七、くのいちといえば由美かおるであろう(笑)、失礼、役名が出てこない。
甲賀、伊賀は有名どころだが、根来衆や風魔党が時として出ていたが、メジャーにはならなかった。しかし、その「風魔」こそ小田原北条氏に仕えた草である。

風呂敷は子どもの忍者衣装に欠かせないひとつだった。その時代の子どもは何らかの形で「刀」と呼べるものをもっていたな。
逆回転はできなかったので、前向きのまま壁に飛び上がることはできなかったが、風呂敷の覆面に、背中に刀をしょってブロック塀やお宮の屋根から飛び降りて遊んだ。
いわゆる、チャンバラは、善悪よりも、剣士と忍者の戦いだったかもしれない。
そうそう、土遁(どとん)の術とか、竹の筒で水遁の術の練習をしたな。釘やワッシャーで手裏剣を作って的に当てて楽しんだ。
※ご安心ください。その頃の子どもはそれを人に投げたら怪我をすることくらい知っていましたから。


さて、前置きがいつものように長くてすみません。
ここからが本題です。

風魔山嶽党単行本
夏休みの宿題で最も苦手だったのが読書感想文。よって、ここでも当然、感想や書評を書こうなんてこれっぽっちも考えていないが、風魔忍者を取り上げた本を紹介だけする。
10年以上前、週刊文春で連載されていた風魔者の小説があった。小田原でもあまり話題になっていなかった風魔が題材だったので、毎週楽しみにしていたのを思い出し、ググって検索して入手した。

タイトルにある風魔山嶽党がそれで、筆者はなんと直木賞作家の高橋義夫氏であったことを改めて発見した。
文春文庫 2000年の最新刊の紹介には「小田原・北条家に仕える草の者・風祭小次郎の八面六臂の大活躍。痛快無比怪傑冒険活劇」とある。
風魔といえば、風魔小太郎だが、この小説では若い忍者・風祭小次郎が主役であるが、この「風祭」こそ忍者(風魔)の里といわれる地名である。


忍者・風魔に興味を持った人には、伊賀忍者団を描いた忍びの国(新潮文庫)を先に読むことをお勧めする。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、あの石田三成が挑んだ埼玉の忍城の攻防を描いた「のぼうの城」の著者である和田竜氏の作品でもある。

風魔は代々小太郎を党首の名としていた。六代目風魔小太郎も決まるとか・・・
9月15日 忍者の里「風魔まつり」のチラシはこちら
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コメント

私も・・・

私も昔は似たような事していました。
釘でも手裏剣作りましたが、上手く出来なくて・・・
簡単だったのは缶詰の蓋をたたいて延し、十字に切って。でもちょっとヤワなのが玉に傷でした。

風魔と言うと、伊賀や甲賀の敵!と言う印象しかなくて・・・(失礼、小田原の方にとっては不本意でしょうね)
マンガは“魔”という文字から悪役にしやすかったのでしょうね。
いまさら(笑)ですが、少し認識を新たにしました。

風祭

tomjさん
こんばんは。

こんなところで書くと良くないかもしれませんが、工事現場などによくある5cm四方のワッシャーが最適でした(笑)。良い子は真似しないように!

風魔は元々は風間とも言われております。また
箱根登山線(今では小田急の終点が小田原から箱根湯本に・・・)には「風祭」という駅があります。

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