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小田原城に戦国時代の池

2013年10月20日


小田原城御用米曲輪遺跡見学会

いつも賑やかな小田原城の二の丸広場は、数ある小田原のイベントの中でも
一番美味しいまつり「小田原ソウルフードフェス」が19・20日の両日開催されていた。


その会場に隣接する「旧市営球場」で、現在発掘調査が行われている江戸時代の御用米曲輪跡から戦国時代の池が出現したことで見学会が行われていたので行ってきた。



位置関係不案内の方のために、野球場を例に説明すると、本塁から一塁線上、ライトのポールの先の急斜面の上に、天守閣があるのです。
昨年、一塁側からライトにかかるエリアで、城内に唯一のこる江戸時代の建造物=瓦積み塀が見つかった上に、戦国時代のかわらけや主殿跡が見つかったのです。
今年、2月の見学会の記事


今回の池は、ちょうどセンターからスコアボードにかかるエリアだ。


この池は戦国時代のもので、珍しいのはそこに使われている石。拡大してみてみると四角に加工してあるが、どこかで見たような・・・
実は、この池に使われている石は、お寺などにある宝篋印塔や五輪塔の笠や土台の部分を集めて池の法面に敷き詰められていて、全国的にも非常に珍しいものだそうで、小田原北条氏の文化や技術を知る上重要な成果だと。

一方で、戦国時代、織田信長が、二条城(京都)や安土城(近江八幡市)の石垣に墓石などを使ったことからその宗教観が取り沙汰されることがあるようですが、沼津の興国寺城や高崎の箕輪城でも石塔を転用した遺構があり、使える石材は使えるだけ使うという戦国時代のの武将の考え方の一端を知ることができるそうです。

推測では、2000個以上の石材が使われているようで、この小田原近隣には、それだけ、いや、それ以上の墓石や五輪塔などがあったということであろうか。


この画像はレフト側からセンター方向に向いて撮ったものですが、手前の土管は、明治時代、小田原城内に御用邸があったときのものだそうで、この1枚に、戦国、江戸、明治の3つの時代の遺跡が収まっているそうだ。

この御用米曲輪の調査は引き続き行われるそうだが、
11月23日(土・祝)、12月21日(土)にも現地説明会が予定されているそうです。
新しい発見が1ヶ月毎に発表されるかも。



そして、残念ながら今年も雨に見舞われた小田原城ミュージックストリート
地下街やステージで屋根があるとことでは予定通り歌声が響いていたので見に行った。結構、寒かった・・・

小田原BG研究会
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